「ポチ」という暴言は許されるのか
立憲民主党の枝野代表が先ごろ、衆院予算委員会の棚橋泰文委員長について「首相に尻尾を振っているポチ」と発言した。棚橋委員長予算委の理事懇談会で、この発言について「人を人とも思わぬ侮辱に憤りを感じている」と反発したという。
それも然だ。ポチというのは犬のことだ。枝野氏は棚橋氏のことを「犬だ」と発言したのだ。
しかし、国民民主党の玉木代表が代表質問で選択的夫婦別姓の導入を求めた際に、議場から飛んだ「だったら結婚しなくていい」とのヤジをあれほど大騒ぎした野党自身もメディアも、このポチ発言については、ほとんど音なしの構えだ。
議場からの「だったら結婚しなくていい」とのヤジは、その発言の中身自体は本来、問われるべきものではない。それも一つの考え方としてはあり得るのだ。もちろん、少子高齢化対策として、結婚する人を増やすという観点に立てば、選択的夫婦別姓制度は議論の価値はある。それは間違いない。しかし、同制度を導入するなら少子高齢化の進行もやむを得ないという考え方もあるはずだ。
しかしながら、枝野氏の「ポチ」発言は、このヤジとは全く異なるはずだ。人を貶める暴言なのだ。人権侵害にもなり得る発言だ。大騒ぎしたヤジは、玉木氏の発言にヤジという形で反論しただけだが、枝野発言は個人を攻撃するものだ。
もし枝野氏が「過激派のポチ」などと言われたら大騒ぎするだろう。
そんな人権さえも無視する発言を堂々とするとは、政治家の資質に欠けると言わざるを得ないのだ。
さらに驚かされるのが、この発言を大きく扱わないメディアの姿勢だ。ヤジ問題の際には、テレビは情報番組などで大々的に取り上げたが、枝野発言は素通りなのだ。
衆議院の予算委員会の委員長に対して「犬」と呼んでいるに等しいのに、報道しないのは、人権感覚もない上に、公正中立な報道を行っているとは決して言えないだろう。
枝野代表には人権侵害の説明責任があるのだ。マイクを向けて釈明を求めるべきだろう。
いったい、メディアはどこを向いて報道しているのか。そんなことすら思わざるを得ない。
(terracePRESS編集部)