国民を愚弄するのは誰か
新型コロナウイルス感染症では、とんでもない情報や誤解に基づく情報や噂などが飛び交っている。報道機関を標榜する新聞やテレビ、また有識者などは、事実に基づいて現在起こっている事象を評価、分析し、国民に可能な限り正確な情報を伝える責務があるが、中には現在の状況には目を背け、自らに都合のいい情報も垂れされている。
共同通信社が配信した上智大中野晃一教授の寄稿はその代表例と言えるだろう。
中野氏の主張は簡単だ。安倍政権が新型コロナ対策で後手後手に回ったばかりか、全国一斉の小中高の休校要請をはじめとする対策は、国家は責任を負わず、国民の自己責任に押しつけているもので、特措法の改正についても「日本の立憲民主政体がいよいよ死に至る病に陥ることを意味しかねない」などと断じている。
この教授にまったく欠落しているのが、現在の日本の状況についての評価だ。確かに日本でも多くの方が感染し、亡くなっている人も多い。しかし、多いとは言っても爆発的な感染にまで至っていないのが現実ということにはまったく触れていない。否、あえて触れず、さも日本政府の対応が完全に失敗しているとの印象を与えたいのだろう。
原稿では、政府の対策について「そうした対策の多くが自粛などの『要請』なので、国家は責任を負わず、ようは自己責任ということになる。とりわけ顕著なのは、感染防止のコストとリスクを『家』というプライベートな単位に押しつける傾向である。仕事をできるだけ家でし、さらには子どもも家で見て、また自分や家人に発熱など風邪症状があった場合も、原則としてまずは4日以上家で様子を見ることが求められている」などと論じている。しかし、この教授は、例えば、学校の休校については首相に休校させるための法的根拠がなかったため、「要請」にとどまったことなど知らないのだろう。国家が責任を負わないために「要請」になったのではなく、法的根拠がないから「要請」なのだ。これは法治主義では当たり前の話だ。
それでも感染の拡大防止に学校の休校が必要だと判断し、国民に要請したのだ。
さらに「感染者の確認と治療に国家は本気で取り組んでいないと疑われても仕方ない。長年、新自由主義改革が繰り返されてきた結果、医療資源は確かに限られており、多くの患者が殺到して医療崩壊してしまったら元も子もないのはその通りだ。ただ露骨に国民を衆愚とみなしてかかるのは、むしろそれだけ統治エリートの劣化を示す面もある」と論じている。
可能な限り重症患者を医療機関に収容し、死に至らしめないということは最も重要なことで、そのためにはなんとしても医療崩壊は避けなければならない。それは教授が自らも述べている通りなのだが、それがなぜ「露骨に国民を衆愚とみなしてかかる」ことなのか、まったく意味不明だ。
この教授自身が国民を衆愚とみなし、すべては政府の責任に押し付けようとしているのではないかとさえ思える。
そして極めつけが、特措法に関する記述だ。「緊急事態が宣言されると、憲法が保障する私権が制限されることもあり得る。それは、判断能力を欠いた頭から、日本の立憲民主政体がいよいよ死に至る病に陥ることを意味しかねない」と論じている。
憲法では、私権というのは憲法でも認められる重要な国民の権利だが、憲法13条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定している。現在は、まさにこの条文の中の「生命」がウイルスに侵される瀬戸際になっているのだ。仮に、特措法で規定される緊急事態宣言に基づいて一部の私権が限定的に制限されることがあったとしても、それは「公共の福祉に反しない」ことだ。
政権を批判したいがために事実に目をつぶり、自らに都合のいい主張をすることは、まさに国民を愚弄する行為というほかはないのだが、このような記事を配信する共同通信も同罪なのだろう。
(terracePRESS編集部)