必要ないか?先に進める発想

通常国会が閉会し、朝日新聞など各メディアが閉会した通常国会を振り返り、政権批判を繰り返している。朝日新聞は7月29日付け朝刊「わたしたちの現在地 深まる危機に目を凝らす」と題した社説で、「民主主義をなり立たせる最低限のルールも倫理もない、異常な国会が幕を閉じて1週間になる。豪雨被害、そして酷暑に人々の関心は移り、不都合なもろもろを、このままなかったことにしてしまおうという為政者の思惑が、少しずつ、しかし着実に世の中を覆っていく」と論じた。

 

朝日新聞は、通常国会を「異常な国会」と位置づけ、驚くことに映画「ゲッベルスと私」を引き合いに出し、確かに「ナチスの所業と安易に対比することはできない」としながらも、国会での官僚が見せた態度に対して「相通じるものを見る」と指摘した。

 

さらに、「ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』の世界では、歴史は常に支配者の都合で書き換えられる。反抗した主人公は捕らえられ、『党』があらゆる記録や、個人の記憶まで管理するのだとたたき込まれる」とした上で「首相の周辺で起きていることは、この約70年前に書かれた逆ユートピア小説に重なる」とおどろおどろしさを交えながら、政府批判をしている。

 

その思考の根底には、国会で長時間行われた森友・加計問題の議論などすべて無視し、朝日新聞だけが振りかざす〝正義〟がある。どんなに質疑を重ねても、朝日新聞は容認しない。なぜならば、安倍政権の否定ありきだからだ。

 

野党各党は合同で、森友・加計学園問題などについて関係省庁から110回を超えるヒアリングを行ったという。そのヒアリングの結果を踏まえた国会審議であっても、朝日新聞は容認しないのだ。結論ありきの思考だ。

 

国会は立法府であり、法律を審議する場だ。仮に、森友・加計問題だけを審議すればよいというのなら、それは国会の役割放棄ということになる。3権の一つの立法府が、立法という責務を放棄するとしたら、それこそ日本にとっての危機となる。「首相の周辺で起きていることは、この約70年前に書かれた逆ユートピア小説に重なる」と心配するよりも、そうした異常な国会運営が行われないよう、正常な立法活動を求めることこそが、メディアの役割なのではないか。

 

今回の通常国会に政府が提出した法案は65本で、そのうち9割を超える60本が成立した。その中には、労働基準法の歴史的な改正となった働き方改革関連法や、今後の日本の国際観光競争力強化の基盤となる統合型リゾート(IR)実施法といった重要法案も含まれている。そういう意味では、野党が強硬に反対する中で、安倍政権は着実に政府提出法案を仕上げたと言うべきだろう。

 

経済社会を先に進めるには、発想も先に進めることが不可欠だ。誰もが今日より明日の生活をよくしたいと願っているのだ。その負託に応えるのが行政府であり立法府だ。メディアもそうした願いに応えるには、メディア自身の発想を変えることが迫られる。