任命見送りは「学問の自由」の侵害なのか
政府が日本学術会議の新会員候補6人の任命を見送った。野党などには「学問の自由の侵害」との声が出ているが、学者の組織とはいえ研究機関ではなく、政府機関の人事の可否を判断することは不合理でも、非合理でもない。ましてや学問の自由を侵害することにはならない。
日本学術会議は「日本学術会議法」という法律によって設置が決まっている政府の機関だ。経費は国庫から年間10億円程度が支出されている。
同法第2条は「日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」と規定しており、会議自体は学問や研究を主体とする組織ではない。
事実、第3条では「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」とし、①科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること ②科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること-の2項目を規定しているが、これからも同会議が研究をおこなう組織ではないことは明らかだ。
そもそも「学問の自由」とは、学問研究や研究発表、そして人に教えることを自由に行うことだ。そしてそれらは憲法第23条で「学問の自由は、これを保障する」規定されている。
しかし、前述のように、日本学術会議法第3条で「独立して左の職務を行う」としていても、その職務は学問研究ではない。「科学に関する重要事項を審議」したり、「科学に関する研究の能率を向上させること」だったりする。政府から諮問を受けた事項について、答申もするが、これとて学問研究ではない。学問研究する機関ではないのだから、任命見送りがあったとしても、それが「学問の自由の侵害」と理解するのは、あまりにも短絡的だろう。
野党からは「学問の自由に対する国家権力の介入だ」(立憲民主党の福山哲郎幹事長)というように、批判の声も出ているが、学術会議が政府機関であり、学問研究のための組織でないことを考えれば、こうした批判が的外れであることは明確だ。
日本学術会議は210人の会員で構成されるが、同法で、学術会議が会員候補を推薦し、内閣総理大臣が任命することが決まっているが、そもそも推薦があれば自動的に任命されるのであれば、政府機関に対する政府の責任が問われるだろう。政府の責任において任命されるべきものなのだ。
菅首相は「前例にとらわれず改革を進める」方針で、それらは国のどの組織にも適用されるべきだ。そこから新しい社会が生まれていく。
任命見送りを「学問の自由の侵害」と批判する野党は、この問題を菅首相への攻撃材料にしたいだけなのだろう。
(terracePRESS編集部)