自粛疲れ、自粛慣れは誰の責任か
政府は、新型コロナウイルス感染症対策としての緊急事態宣言の対象地域に愛知県、福岡県を追加、宣言の5月末までの延長などを決めた。菅首相は「人流は確実に減少した」と指摘したが、その一方で国民の自粛慣れや自粛疲れという状況も指摘されている。メディアなどは自粛慣れ、自粛疲れをさも政府の責任のように論じているが、果たして政府の責任と結論づけることにどれだけ意味があるのだろうか。
7日の記者会見で菅首相は「これまで、外出を控えるなど御協力いただいた国民の皆様、休業要請などに応じていただいた事業者の皆さん、医療、介護の現場で懸命の御尽力を頂いております関係者の皆様に心から感謝を申し上げます。また、今回の延長により、引き続き御負担をおかけします皆様に深くおわびを申し上げます」と述べた。
新型コロナ対策は、ウイルスのなせるものであり、それも全貌を把握できていないウイルスであり、当初の想定通り対策が進まないのも当然だ。変異種も人類が想定していなかったことだろう。
それでも政府としておわびするということは分からないではないが、果たして、延長せざるを得なかった責任を政府に負わせればそれで済むという話しなのか。
会見ではメディアから「宣言が長期化することによる自粛疲れとか、慣れへの懸念というものに対して、政府は、現状をどのように考えているのか。国民の中には、ワクチン接種が進むまでは、結局、宣言と発令と、その解除を繰り返すので、いちいち政府の要請に従わなくてもいいのではないかと、その宣言の効果を根本から疑問視する声も出始めているように見える」などといった質問もあったが、もし社会に「従わなくてもいい」との考えがあるとすれば、メディアはそうした考えを是認するのか。
英国のイングランドでは1月5日から全土で学校や商店を閉鎖、原則自宅待機とするロックダウンが続き、やっと3月から学校の再開など制限の一部が緩和された。最終的には6月に、人と人の安全な距離を確保するためのルールを撤廃する方向だ。
もちろん、日本とは比べものにならない感染状況だからなのだろうが、英国のジョンソン首相は国民に「責任ある行動」をとるよう強い調子で求めたこともあった。
政府が対策を策定し、国民がそれに基づき責任ある行動をとることによって初めて、感染症対策が効果を上げる。
しかし、民放テレビなどはゴールデンウィーク中に、観光地や繁華街にいる若者にインタビューし「自粛が我慢できなくなった」などと話しているのを、何の判断もなく放映しているが、まず咎めるべきは、責任ある行動をとっていなかった彼らのはずだ。
そういう意味では、菅首相が、外出を控えた国民や休業要請などに応じた事業者、現場で尽力している関係者に対するおわびは、責任ある行動をしなかった人々になりかわってのおわびでもあるはずだ。
(terracePRESS編集部)