出口なき辺野古代替施設の反対論
1996年に日米両政府が沖縄の米軍基地など11施設計5000ヘクタールの返還に合意した特別行動委員会(SACO)の最終報告から25年が経過した。これまで6施設計4400ヘクタール以上が返還されているが、「世界一危険な飛行場」と言われる米軍普天間飛行場の返還は実現していない。返還の前提となる辺野古の代替施設の建設への反発は強いが、それは普天間返還の出口が見えない反対論でしかない。
「SACOから25年」などというと、普天間飛行場の辺野古移設が25年間も実現していないかのように思われるが現実は違う。
もともと辺野古移設が閣議決定されたのは1999年だったが、2009年に民主党政権が発足し、鳩山首相が「最低でも県外移設」と現実に立脚しない政策を掲げ、大混乱に陥れた。結局、民主党政権は辺野古移設に戻ったが、それが尾を引き、辺野古反対を掲げる「オール沖縄」が2014年に県政与党となり、現在も国と県が対立する構図となっている。
沖縄県や地元メディアなどは一体となって辺野古移設に反対しているが、辺野古移設への反対は普天間飛行場周辺に住む人々の安全性をないがしろにするようなものだ。
辺野古施設は名護市に作られるわけだが、米軍海兵隊基地の「キャンプシュワブ」の海上に造られるもので、普天間飛行場のように住宅街のど真ん中にあるわけではない。周辺の安全性を考慮して海上に造るわけだから、一刻も早く完成させて、普天間飛行場を返還させることが、普天間飛行場がある宜野湾市民の安全を確保することにつながる。
それにも関わらず、辺野古移設反対を唱える人々は、建設反対だけを声高に叫んでいるのだ。そうした辺野古の反対運動には左翼活動家が多数入っていると言われているが、そうした反対派の旗を振っているのが沖縄県だ。宜野湾市民の安全を図らなければならない沖縄県が、市民の安全確保に動いていないのだ。
沖縄県は11月25日、軟弱地盤の改良工事のため防衛省が昨年4月に提出した設計変更申請を不承認とした。昨年4月に提出した申請の判断を今年11月まで伸ばすこと自体、意図的と感じられる。これを受け、防衛省は行政不服審査法に基づき国交相に不服審査請求している。国交相が不承認を取り消す裁決を出せば、国と県による法廷闘争に発展する可能性が高い。
埋め立てを巡っては、これ以前にも沖縄県の埋め立て承認撤回を国交相が取り消す裁決をしたのは違法として、県が訴訟を起こし、福岡高裁那覇支部が12月15日、訴えを却下した一審那覇地裁判決を支持し、県の控訴を棄却している。
移設阻止を掲げる玉城デニー知事は今後も国と裁判闘争を続けるのだろうが、この闘争は肝心な普天間飛行場の返還という出口にはつながっていない。辺野古移設に反対することは普天間飛行場の固定化につながる可能性はあっても、返還にはならないのだ。
それが分かっていながら辺野古移設反対を続ける玉城知事は、普天間飛行場周辺住民を無視する冷酷な政治家なのだろう。
(terracePRESS編集部)