改憲議論さえ許さない共産党の反民主主義
立憲民主党の泉代表が国会での改憲議論について容認すると発言。これに対して共産党の小池書記局長が「看過しがたい発言」と批判した。国会で議論するといったことに対して「看過できない」とは、まさに共産党の反民主主義、反自由主義的姿勢を示すものだ。
小池書記局長が問題視したのは泉代表が21日に東京都内で行った講演での発言。ここで泉代表は、改憲を掲げる日本維新の会との関係について「立憲民主党は(憲法審査会について)極めて自然体で、あくまで必要であれば開くという立場。日本維新の会は改憲政党ではあるが、実はそんなに差がないと思っている。憲法裁判所、緊急事態条項は、我々も議論はやっていいと思っている」と表明。
また、「憲法9条(改正)も、集団的自衛権をフルで認めるのは我々はまだ問題があると思っているので、必要であれば憲法審で議論すればいい。(維新と)決定的な対立ではないのかな、と感じている」とも発言した。
日本を取り巻く内外環境が著しく変化している中で、改憲が必要になっていることは間違いないのだが、泉代表は改憲の必要性を主張したわけではない。
憲法審査会について「必要であれば開くという立場」、「必要であれば憲法審で議論すればいい」と発言したに過ぎない。
国会は議論する場であり、政治家は議論するために存在する。議論するのが政治家の役割だ。それを小池書記局長は「看過できない」と言ったわけだ。
そして小池書記局長は「立憲主義は立民党の原点でもあるはずで、果たしてどうなのか、疑問を持たざるを得ない」とも語っているのだ。
立憲主義とは、憲法に基づいて統治がなされ、憲法によって政治権力は制限されるべきという政治理念であり、立憲民主党はその立憲主義を党の原点としていることは確かだ。しかし、立憲主義に基づいていても、その憲法を改正してはいけないということでもない。日本国憲法でも当然のことながら改正手続きを規定している。
確かに共産党は、社会主義革命の前段階としての民主連合政府では「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす」としており、護憲であることを明確にしている。
しかし、その次の段階である社会主義・共産主義の社会への前進をはかる「社会主義的変革」になると、様相は異なってくる。共産党が考える社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化だ。
共産党は社会主義的変革の段階での憲法の取り扱いについて明示していないが、生産手段を社会化する状況が現行憲法と整合性がないことは明らかだ。
つまり共産党は将来的に反民主主義、反自由主義国家を目指す政党であり、当然のことながら憲法改正を目論んでいるのだ。小池書記局長の立憲批判は、立憲主義などという高尚なものではなく、単なる国民へのアピールでしかない。
(terracePRESS編集部)