「合成の誤謬」を作り出すメディア
「合成の誤謬」という言葉がある。ミクロの視点では合理的で正しいことであっても、それが合成されたマクロの世界になると、必ずしも意図しない結果だったり、好ましくない結果だったりすることを意味する経済学の用語だ。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、マスクをはじめ、トイレットペーパーや赤ん坊の紙おむつなどが店頭から消えている。
トイレットペーパーについては「新型コロナウイルスの影響でトイレットペーパーが品薄になる」というデマを職員がSNSで発信したとして、鳥取県米子市の「米子医療生活協同組合」がホームページで謝罪している。単なるデマが消費者を動かし、結果として店頭からトイレットペーパーがなくなったわけだ。
しかし、そのデマによって動かされた消費者が賢明ではなかったとは言えない、実際、店頭からトイレットペーパーがない光景を目にしたり、テレビなどで報じられたりすれば、「なくならないうちに買おう」と考えるのは、消費者としては合理的な判断だ。
最初はデマだったのが、いつしかリアリティーを持つことになるわけだ。
しかし、その個々の合理的な判断が、日本全体としては極めて好ましくない事態を引き起こすことになったわけだ。まさに「合成の誤謬」だ。
ある意味、マスクも、紙おむつもこのような機序により、店頭から品物が消えたのだろう。
本来ならば、ここで重要なのはメディアの役割のはずだ。夕方のニュースなどで、店頭にトイレットペーパーがない光景を見せられれば、誰もが「買いだめ」に走る。
もしその光景を報じるのであれば、それと同程度に、買いだめに走ることに注意を促すのが、メディア本来の姿勢だろう。
しかし、残念ながら日本のメディアは、国民に驚きを与え、混乱させることには関心があるが、正しく啓発するという考えも、スキルもないのが実態だ。
正しいことを正しく伝えない。それが日本のメディアの正体と言っても過言ではない。
(terracePRESS編集部)