市井の感覚から遊離する野党の合流話

立憲民主党、国民民主党の合流話が、どうやらとん挫しそうだ。当初は1月20日の通常国会開会前までの合流が取り沙汰されていたが、どうもそんな雰囲気ではないようだ。

話が前に進まない最大の要因は、立憲があくまでも「合流」つまり吸収合併することを譲らないためと言われている。これに対して、国民民主党の玉木代表が反発しているのだ。

 

ということがメディアなどで報じられているが、合流話が進まない最大で本質的な要因は「吸収合併」だからとか、「対等合併」がじゃなければダメだという問題ではない。

 

最大の問題は、本来あるべき政党の理念や綱領、政策について何も議論しないからなのだ。もし、両党の理念や政策が完全に一致していれば、そもそも二つの政党に分かれている必要はなく、自然に一つの政党としてまとまるはずだ。

しかし、現実には、原発政策を持ち出すまでもなく両党の政策には一定程度の開きがあり、だからこそ政党が異なっているのだ。

 

その政党間の違いについて差異を埋める議論はしないまま「一緒になる」「ならない」という話はうまく進むわけがない。

というか、その議論をしないまま、政党を一つにするということが、果たして有権者に責任を持つ政党のあり方と言えるのだろうか。

 

あくまでも立憲民主、国民民主の合流話ではあるが、両党にはこれまで、それぞれ支持してきた有権者もいる。その有権者は、現在の立憲民主党、国民民主党を支持してきたからこそ、過去の選挙で投票してきたのだろう。

もし、それが「一つの政党になりました」と突然言われても、それが有権者への説明責任を果たすことになるのだろうか。

 

有権者が求めるのは合流後の政党がどのような政策を行うのか、その点にあるはずだ。

それを議論せずに合流しても、これまで支持してきた有権者は戸惑うばかりではないのか。

 

立憲の枝野代表は「永田町の数合わせにはくみしない」と発言してきた。今回の合流話がまさに数合わせであることに気が付かないとしたら、もはや市井の感覚から遊離しているとしかいうほかはない。

 

(terracePRESS編集部)