ミスリードが生んだ〝年金問題〟

金融庁の審議会がまとめた報告書の原案に「夫婦で95歳まで生きると、年金以外に2000万円の蓄えが必要」などと記されていたことが、連日大きなニュースとなっている。野党からは「年金の『100年安心』ウソだった」などと参院選の争点にするとの声が出ているが、この問題はまず、またもや野党やメディアのミスリードが前提になっていることを理解する必要がある。

 

「100年安心」が打ち出された2004年の年金制度改革は、厚生労働省が、おおむね100年間を対象期間として、年金財政を推計したことに由来する。そして、この100年の間で給付と負担を均衡させ、持続性を確保できたという意味だ。

 

04年の制度改正前は将来にわたって給付と負担が均衡するように5年ごとに見直していたが、経済成長や出生率、寿命の状況など社会経済の変動に柔軟に対応しながらも、頻繁に制度改正を繰り返す必要のない持続可能な制度としたというのが「100年安心」の意味だ。あくまでも年金制度の持続性の話なのだ。

 

ところが、メディアや野党からは年金制度の持続性の「100年安心」を、意図的に「100歳まで安心」にすり替え、事実「政府は年金を『100年安心』と謳っていたが、今回の報告書では、65歳以上の夫と60歳以上の妻の無職の夫婦の場合、毎月の収入は約21万円で、 支出はそれを上回る約26万円。約5万円の赤字が出るため、老後30年生きると約2000万円不足するとの試算を発表していた」などと報じるメディアもあったほどだ。

 

それには、理由もある。現在、「人生100年時代」と言われており、安倍政権も「人生100年時代」の社会づくりに取り組んでいるが、この「人生100年時代」の100年と、年金制度の持続性の100年は似て非なるものなのだが、そこをすり替えて、国民に誤解させているのが野党やメディアなのだ。

 

現実的には不可能に近いだろうが、厚労省がもし2004年の年金制度改正の際に、100年ではなく200年を対象に年金財政の推計をし、200年は制度的に大丈夫だということになったら「200年安心」となり、今回のように人の一生と制度の持続性をごっちゃにするような意識的なすり替えは起こらなかったに違いない。

 

年金制度の議論は、日本人の寿命が延びる一方、出生率が回復しない中で、給付と負担の関係をどのようにしていくのかという点に尽きる。その際、経済環境はどうか、雇用環境はどうか、貯蓄状況はどうか、といったさまざまな要因を分析しなければならない。平均値だけの試算を基に「ウソだ」というのなら、それは建設的な議論はしないということに等しい。

 

(terracePRESS編集部)