安保法制の核心は「国民生活が脅かされない国」
安保法制が憲法に違反するかが争われた訴訟の判決で、東京地裁は先ごろ、憲法判断をせずに原告の請求を棄却した。
この裁判は、安保法制は憲法前文にある平和に生きる権利(平和的生存権)や人格権が侵害されて精神的苦痛を受けたとして、市民ら約1550人が国に1人10万円の賠償を求めていたもの。全国で25の裁判が行われており、東京地裁判決は札幌地裁に続いて2件目となった。
さて、この裁判の原告らのように安保法制に反対する人々は、「安保法制が日本を『戦争をしない国』から『戦争をする国』に変えるものだ」などと訴えている。しかし、こうした見方は的を射ていない。
そもそも日本の戦後の平和は、戦争放棄を規定した憲法があったから保たれたわけではない。原告らはここを大いに誤解しているのだ。
他国に対しては、憲法をはじめとする日本の国内法は通用しない。いくら憲法が平和を訴えても、他国にはなんら影響を及ぼさないのだ。それは、例えば中国やロシアの憲法が日本の政府や国民に何も影響を与えないのと同じだ。
だから、もし自国の主張について実力を行使して実現しようとする国などがあれば、まずは、国際法や外交を通じた話し合いを行う。それは1対1の話し合いだったり、第三国を強調したマルチの話し合いだったりするだろう。
そして、その協議と同時に重要なのは、相手国が実力を行使する場合に、却って自国の利益にならないことを分からせる必要があるということだ。これが、相手の行動を鎮静化させたり、相手の行動を未然に防いだりする「抑止力」だ。そして、安保法制の狙いはこの「抑止力」にある。もちろん、「抑止力」を高める狙いは、生命や財産、自由、幸福追求といった国民の権利を守るためだ。
安保法制では、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合に、防衛出動と武力行使を認めている。しかし、それも(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきことーとの要件を定めた上でのことだ。
安保法制を指して「戦争法」などと定義する人たちがいる。そうした人々は、憲法さえあれば日本の平和が保たれると考える空想的な人々だ。そうした人々が空想しているうちに、北東アジアの安保情勢はますます緊張の度合いを深めているのだ。
安保法制は他国に「戦争を起こさせない国」「国民生活を脅かせない国」を目指しているのだ。
(terracePRESS編集部)