個別領収書は異常なのか?
安倍首相の後援会が開いたという「桜を見る会」の前夜祭について、相変わらず国会で議論されている。
安倍首相がさも違法な行為を行ったかのような言説が一方的に流布されるという国会は、いくら何でも異常だ。少しでもまともな議論が行われればよいのだが、立憲民主党などの野党は、問題がないことが明らかなのにもかかわらず、政権批判をするためにいつまでも、「あーでもない、こーでもない」と繰り返している。
その一つが、前夜祭に参加した人への領収書だ。一部メディアが、参加者が受け取った領収書の存在を報じているが、それでも野党は認めない。「参加者個人がホテルと契約することなどありえない」などという批判もしているが、別に契約書を交わすことだけが契約ではない。
何かイベントがあって、そのイベントの参加者個々人が領収書をもらうことがあることは一般社会では常識だ。ゴルフをやる人はわかるだろうが、ゴルフコンペなどはその一例だ。
コンペの主催者がゴルフ場にコンペの予約をする。野党議員は、「主催者」といえば「料金を払う立場の者」などと思うだろうが、実はそうではない。主催者はあくまでも申込人だ。例えば、それが10組のコンペなら一組4人で計40人が参加者となるわけだ。その40人がゴルフ場に到着し、フロントでカードホルダーをもらう。ゴルフをやらない方は分からないかもしれないが、カードホルダーはスコアカードを入れることができるほか、ロッカーのキーが付いていたり、最近は決済もできたりする。
そのカードホルダーを受け取った時点で、ゴルフ場とコンペ参加者の契約が成立するわけだ。
そしてプレー終了後、その参加者が個人でプレー料金を払い、領収書をもらうわけだ。この場合、主催者といっても金のやり取りには関与しない。関与しないのだから、主催者には全体の明細書も領収書も発行されない。日常的に、こうした行為は行われているのだ。
国会での議論は一般論と前夜祭という個別の案件がごちゃ混ぜになり、野党はその議論の〝いいとこどり〟をして、「疑惑だ」「疑惑だ」と言い立てているのだ。
「主催者」にしてもそうだ。上記のように、世の中には単なる申込人という場合も主催者と呼ばれることはある。
「桜を見る会」については政府はすでに参加基準を見直すことを表明しているし、前夜祭にしても、もはや野党の主張は〝重箱の隅状態〟になっているのが実態だ。
(terracePRESS編集部)