ポスト新型コロナ社会しかない野党の限界
立憲民主党と国民民主党、両党を支持する連合が先ごろ、トップ会談を開催し、新型コロナウイルス収束後の社会像について意見交換したうえで、次期衆院選の共通政策にすることを決めたという。
両党の支持母体である連合を媒介として、理念や政策などの歩み寄りを図って、なんとか合流協議の再開をしたいというわけだろう。
それは会談後の取材に、立憲の枝野代表が「私は過日『命と暮らしを守る政権構想』私案を発表し、(国民の)玉木代表もアフターコロナの議論をしておられる。連合の皆さんが従来から『働くことを基軸とした安心社会を作る』とおっしゃってきたことを、アフターコロナを見据えて、さらに中身を充実させて分かりやすい形で共有していこうということだ」と述べたことからも明白だ。衆院選をにらんで、8月初旬には方向性を出すという。
確かに、今や新型コロナウイルス感染症対策と、収束後の新たな社会の構築は大きな政策課題だ。事実、政府もすでに4月7日に策定した緊急経済対策で、サプライチェーン改革やリモート化などによるデジタル・トランスフォーメーションの加速などその一部についてすでに着手している。
枝野代表が言った政権構想は「支え合う社会へ―ポストコロナ社会と政治のあり方(『命と暮らしを守る政権構想』)(私案)」なるものだ。新型コロナへの政府の対応を批判したうえで、ポストコロナ社会の理念を示したものだ。
新型コロナウイルスは未曽有の感染症で、世界各国のどの政府も手探りの状態で対応策をとってきた。日本政府も例外ではなく、その中で国民の健康と生活を守るために手探りでさまざまな対策を実行したのが実状だろう。
未経験の緊急事態だからこそ正解はなく、だからこそ一方的な批判も成立してしまうのだ。そういう意味では枝野構想も、単なる政権批判に等しいのだ。
もちろん、ポスト新型コロナ社会には、個人の生活から行政組織、国土構造のあり方など抜本的な日本の経済社会の見直しが必要だが、政権構想はそれだけでは不十分なことは言うまでもない。
少子高齢化が進む中での社会保障のあり方、東アジアの緊張が増す中での安全保障、エネルギー問題、国内農業の活性化などさまざまな対策が必要なのだ。
ポスト新型コロナ社会のあり方だけを強調し、それを政権構想というのでは、国民に対する裏切りだし、まさに立憲、国民など野党の限界というものでしかない。
(terracePRESS編集部)