東京五輪開催、新聞はどう伝えたか
東京五輪がスタートした。無観客での開催とはなったが、世界のアスリートたちに最高レベルの競い合いをする場を提供するという〝約束〟を果たすことができたわけだ。大会は史上最多の33競技339種目が行われるものとなるが、一部メディアは相変わらずの幼児的な思考で大会を否定したいようだ。
新聞であれば通常、開会式の翌日朝刊の社説で、五輪開催の意義などを論じるだろう。しかし、今回朝日新聞が五輪開催を社説で取り上げたのは開会式が行われる当日の朝刊、すなわち23日付け朝刊だ。
まだ開会式も行われていない段階で「五輪きょう開会式 分断と不信、漂流する祭典」と題した社説を掲げた思惑はどこにあるのだろう。
朝日新聞は5月26日付け朝刊に「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」と題した社説を掲載し、五輪開催に反対する姿勢を明確にしていた。
それだけに、現実に開会式が行われたことを容認できないのか、社説の掲載を開会式前にすることで、無視はできないものの、五輪を過小評価したかったのだろう。
その23日付け朝刊の社説では「東京は感染が急拡大し、医療逼迫の懸念が高まる。国籍や属性を問わず、生命と健康を守ることを最優先課題と位置づけ、中断・中止の可能性も排除せずに大会に臨む必要がある」などと指摘している。
しかし、競技を見れば、選手一人一人が感染対策に配慮していることは分かるし、そもそも欧米や中南米などの選手は、日本より数段深刻なコロナ禍を乗り越えてやってきているのだ。
また、競技によっては五輪以前に世界的規模の大会を開催、それも観客を入れてやっている場合もあり、知見は競技団体の方がよほど持っている。
毎日新聞は24日付け朝刊で「コロナ下の東京五輪 大会の意義問い直す場に」と題した社説を掲げた。社説は、五輪が巨大イベントになってしまい、それによってIOCが開催ありきの姿勢を崩さず、複雑な契約に縛られた大会組織委員会も開幕直前まで無観客の決定をできなかったなどと論じている。
確かに、五輪が巨大なイベントになっていることは事実だろうし、開催についての決定権がIOCにあることも事実だ。
しかし、だから今回の大会の中止ができなかったと断じるのは性急すぎる。前述したように、日本よりもコロナ感染が拡大している国でもさまざまな大会が開かれているし、感染者が格段に少ない日本なら開催できるとIOCが判断した可能性もある。必要なのは、そこのところの冷静な検証であり、それがメディアの役割だ。
社説は「無観客の競技場から見えてくるものがあるはずだ。今こそ原点に立ち返り、五輪の意義を問い直す機会にしたい」と結んでいるが、相変わらずの言いっぱなしに過ぎないのだろう。
読売新聞は24日付け朝刊で「東京五輪開幕 苦境でも輝く選手に声援を」との社説を掲載した。社説は「開会式は、国や民族の分断や対立を超える機会と位置づけられていた。今回、世界中の選手と観客が一堂に集うことはかなわなかったが、大会期間中、この理念を忘れないようにしたい」指摘している。
日本国民だけでなく、世界中の人々が今大会の理念を忘れずに、新しい社会の構築をすることが必要だ。その呼びかけができるのが五輪であり、それが五輪開催の意義。それを呼びかけるのがメディアの重要な役割でもある。
(terracePRESS編集部)