terrace PRESS

CATEGORY政治

2021.08.23

国民民主党の玉木氏は反民主主義を認めるのか

共産党を「全体主義」と断じた国民民主党の玉木代表が、発言を撤回した。しかし、共産党が非民主主義、すなわち全体主義国を目指しているのは明らかだ。共産党を「全体主義」と言った玉木氏は、発言の重みをどの程度認識していたのかどうかは知らないが、間近に迫っている衆院選を視野に、共産党との協力を進めるために発言を撤回したのなら、公党の代表の資格どころか政治家としての資質が問われる。

 

玉木氏の「全体主義」発言は、連合と結んだ政策協定に盛り込まれた「全体主義を排し」との表現が盛り込まれたのが発端だ。玉木氏は「全体主義を排し」の文言の意味を問われ、「共産主義、共産党のことだ」と述べた。

もちろんこれに対して共産党は即座に反応し、撤回を要求した。それに続いて7月26日には国民民主党の現職がいる衆議院茨城5区で候補者を擁立すると発表した。

 

そうした動きの中で玉木氏が8月18日の会見で、「全体主義」発言について「日本共産党を同一視したことについては改めたい」と発言を撤回し、共産党の志位委員長は翌19日の会見で「事実上の撤回と受け止めた」と述べ、協力関係を続ける考えを示した。

 

こうした一連の経過をみれば、選挙目当ての〝手打ち〟感がぷんぷんするが、事は重要な民主主義のあり方についてだ。そもそもの「全体主義」発言がそんなに簡単に撤回できるものだったとしたら、政治家としての〝軽さ〟が否めないし、共産党が全体主義ではないというのなら、あまりにも認識も理解も不足している。

 

全体主義というのは、個人の自由を認めず、個人の生活や思想が国家全体の利害と一致するよう統制するという思想であり、政治体制だ。共産党は現在野党だから、そういう政治思想を持っているかどうかが問われなければならない。

 

共産党は綱領で「社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である」と謳っている。そしてその生産手段の社会化について「生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする」としている。

 

さも、バラ色のようなことを言っているが、要は企業を国有化だったり公有化したりして、それを党や国の官僚が全体の計画に合致するようにコントロールするというやり方だ。もちろん、そのコントロールに反することは許されないということだ。中国や旧ソ連はまさにそうした体制だった。たとえトヨタ自動車であっても党や国家の指導の下に置かれる。生産手段の社会化が実現されると、その社会では民主主義も自由主義も認められなくなる。

付言すれば、「経済の計画的な運営」というが、計画経済では資源が適正に配分されないことは歴史が証明している。

 

共産党が反民主主義国家、全体主義国家を目指していることは間違いない。それでも「全体主義ではない」というのなら、玉木氏は自身で民主主義を否定することを明言したのと同じだ。

 

(terracePRESS編集部)

この記事をシェアする

関連タグ

人気関連記事

投稿種別CATEGORY

  • 政治
    政治
  • マスコミ
    マスコミ
  • 国内
    国内
  • 社会
    社会
  • 事故・事件
    事件・事故
  • 経済
    経済
  • 動画
    動画
  • 法律
    法律
  • 教育
    教育
  • 歴史・文化
    歴史・文化
  • 国際・海外
    国際・海外
  • 特集
    特集
  • インタビュー
    インタビュー
  • その他
    その他

注目タグTAGS