おごり続ける朝日新聞
朝日新聞が臨時国会の閉会を受けて、「政権の暴走が止まらない」と題した社説を掲載した。「巨大与党に支えられた安倍政権の横暴がまた繰り返された」との書き出しの社説は、「議論をないがしろにし、国会を下請け機関のように扱う政権の独善的な体質が際立った」など安倍政権を批判している。
その朝日の指摘する「議論をないがしろにする」というのは、入管法の改正議論を指しているのだろう。社説では「外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法の改正は、社会のありようにかかわる大きな政策転換だ」と指摘している。
しかし、朝日が指摘するように今回の改正は「社会のありようにかかわる大きな政策転換」なのだろうか。
入管法改正では、政府が受け入れる外国人労働者を5年間で最大約34万5千人としている。日本の成人人口は約1憶人だが、35万人でも成人人口の0.35%に過ぎない。果たしてこれが「社会のありようにかかわる」のだろうか。
さらに言えば、この最大34万5千人のうち、45%は現在の技能実習生からの移行となる見込みだ。朝日は、どのようなロジックで「社会のありようにかかわる」と言うのだろうか。
もちろん、最大34万5千人といっても、10年後、20年後の受け入れ人数を保証するものではないが、そこを冷静に議論し、提言していくのがメディアの役割でもあるのだろう。
社説はまた、入管法改正、水道法改正に続き、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設についても言及し「沖縄県の反対にもかかわらず、名護市辺野古の海に土砂を投入しようとしている米軍普天間飛行場の移設問題にも重なる強権的な姿勢は、断じて認めるわけにはいかない」と指摘。米軍普天間飛行場の危険性を早期に除去する必要性を放置する沖縄県の立場をそのまま受け入れるだけの主張は、メディアとしての主体性などどこにもみられない。
さらには、「サイバーセキュリティーを担当しながらパソコンを使ったことがなく、海外メディアから驚きをもって報じられた桜田義孝五輪相」との一文に至っては、社説自体の程度の低さを自ら示しているというしかない。
この社説は、安倍政権が入管法や水道法の改正を「成立ありき」で突き進んだと指摘しているが、この社説はまさに「政権批判ありき」で書かれたものだ。
そもそも政権が「成立ありき」で国会に臨むのは、当然の行為と言えるのだが、「批判ありき」で社説を掲載するメディアは、果たしてメディアの役割を果たしていると言えるのだろうか。
社説は「今月末で第2次安倍政権は発足6年を迎える。長期政権のおごりや弊害に向き合わず、このまま民主主義の土台を傷つけ続けることは許されない」と結んでいる。その〝気高い〟主張は勝手だが、首相に「おごるな」と言う朝日新聞も、一度でもおごることなく、なぜ安倍政権が6年も続いているのか、なぜ現在も40%を超える支持を得ているのか、考えた方がよいのではないだろうか。