普天間の危険性除去への県民の意思は

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う埋め立て賛否を問う県民投票で「反対」が7割を超えた。

安倍首相は県民投票の結果について「移設をこれ以上、先送りすることはできない」と語り、普天間飛行場の固定化を避けなければならないとの考えを示した。

 

一方、当事者の沖縄県の玉城デニー知事は会見で「私は知事就任以来、これまでも辺野古に新基地は造らせないことと、普天間飛行場の県外、国外移設に全力を尽くしてきた」「県民投票の結果を受け、辺野古新基地建設の阻止に全身全霊をささげていくことを誓う」と述べており、またしても普天間飛行場周辺の住民の安全性については、後回しにする姿勢をみせている。

 

改めて指摘するまでもないが、今回の問題のスタート地点は米軍普天間飛行場の移設だ。

住宅街のど真ん中にある飛行場の危険性を除去しようというものだ。

そして、その普天間飛行場の返還合意は、幼少期に可愛がってくれた従兄弟を沖縄戦で亡くしたという橋本首相が心血を注いで成し遂げたことは知られている。この橋本氏の「普天間飛行場を返還してもらう」という熱い思いがなければ、現在も、返還までの道筋さえついていなかったのかもしれないのだ。

 

その当時の経緯については橋本首相の秘書官だった江田憲司衆院議員が明らかにしている。

 

江田氏によると、橋本首相が米側に普天間飛行場の返還を申し出たのは1996年2月24日のクリントン大統領の首脳会談だった。

江田氏の回想によると、しかし、そもそも普天間返還など米側が応じるわけがないと判断していた外務省など意向で「大統領との首脳会談用の事前の『総理発言要領』には、『普天間』というくだりはなかった」という。

 

「橋本総理も、この外務当局の頑ななまでの対応を踏まえ、ギリギリまで悩まれた。首脳会談の直前まで決断はされていなかったと思う。しかし、クリントン大統領と会談をしているうちに、米国側の沖縄に対する配慮、温かい発言もあって、ついに総理は、その場で意を決して『普天間飛行場の返還』を切り出したのだ」という。

 

この首脳会談以降、普天間秘境上の返還問題は急激に動き、4月12日には橋本首相とウォルター・モンデール駐日大使との間で、「普天間基地の移設条件付返還」が合意され、普天間基地返還への道筋がつくられ始めたのだ。

 

これでも分かるように、今回の問題のスタート地点は、周辺住民の安全性を確保するための普天間飛行場の移設だ。住民の命を守るという大変重い課題だ。

 

それにもかかわらず、今回の県民投票は、残念ながら辺野古への移設というゴール地点の是非を問うものであり、スタート地点の重要性については何も考慮されていない。普天間飛行場の危険性除去の必要性についても、問うべきだったのだ。

 

安倍首相は「移設をこれ以上、先送りすることはできない」と語っている。繰り返しになるが、それは普天間飛行場の固定化を避けなければならないとの思いだ。

「辺野古新基地建設の阻止に全身全霊をささげていくことを誓う」という玉城知事には、普天間飛行場の危険性が見えていないのだろう。

 

(terracePRESS編集部)