国葬に真っ向から反対する政党、メディアの薄っぺらさ
政府は安倍元首相を追悼する国葬を9月27日に実施することを決めた。岸田首相が葬儀委員長、副委員長は松野官房長官が務め、「無宗教形式で、簡素、厳粛に行う」(松野官房長官)という方針だ。これに対し、野党や一部のメディアから批判や反対する声が聞こえるが、歴代最長となる8年8カ月にわたり首相を務めた政治家の国葬すら批判する薄っぺらさが日本をダメにしていく。
国葬をめぐっては公明、国民民主が政府の判断を支持し、立憲民主、共産、社民が反対している。
反対論の中であるのが「弔意の国民への強制」だ。しかし、国葬とはいえ、政府が実施する〝式典〟だ。共産主義のような全体主義の社会であればもちろん強制もあるだろうが、民主主義が定着した現代の日本で弔意の強制などありえない。
問題は、それでも強制があるかのような主張をする野党や一部メディアの浅薄さだ。自分たちの主張を広めるために、逆に国葬を利用しているのだ。
朝日新聞は20日付けの朝刊で「安倍氏を悼む 『国葬』に疑問と懸念」とのタイトルの社説を掲載している。社説は冒頭で「在任期間は憲政史上最長となったが、安倍元首相の業績には賛否両論がある。極めて異例の『国葬』という形式が、かえって社会の溝を広げ、政治指導者に対する冷静な評価を妨げはしないか」と指摘している。
「安倍元首相の業績には賛否両論がある」と述べているが、そもそもこの日本社会で、賛否両論がない政治などあり得ないのだ。もしかしたら朝日新聞も共産党のように賛否両論のない社会を作りたいのかもしれないが、民主主義社会では「賛否両論がある」のが当然だ。
その賛否両論がある社会の中で、憲政史上最長の首相を務めたところが安倍元首相の実績を示しているのだ。それだけ国民の支持を得ていたという点を朝日新聞は理解できないのだろう。
そして社説は最後の段落で「安倍氏を悼むのは当然だ。ただ、弔意の強制はあってはならない」とも指摘している。弔意の強制などないのは明らかなのに、あえて「弔意の強制があってはならない」と強調するところに朝日新聞の意図を感じざるを得ない。
蛇足だが、この社説は「安倍氏を悼む 『国葬』に疑問と懸念」というタイトルだが、社説の中では最後の部分の「安倍氏を悼むのは当然だ」の言葉だけだ。それも国民が悼むということなのか、この社説が悼んでいるのか不明な、曖昧な表現で、朝日新聞からは安倍元首相の死去を悔やむ思いは感じられない。
ところで、松野官房長官は22日の閣議後の会見で9月27日の国葬の正式決定を公表したが、国葬を行う理由については①憲政史上最長で首相という重責を担った②東日本大震災からの復興、経済再生、日米関係など外交の展開など実績を残した③海外の首脳から高い評価を得ている④国内外から幅広い哀悼の意が捧げられている-などと説明している。
しかし、この国葬とする理由の説明は記者の質問に答える形でしかなく、積極的に国民に説明しているとは言い難い。国民に真摯に説明するのが政府の責任であることは間違いない。
(terracePRESS編集部)