党名決められない政党に政治ができるか
立憲民主党と国民民主党の合流協議が難航している。難航している理由の一つが「党名」だ。〝名は体を表す〟と言う通り、名称がそのものの実体を表すものであることは確かだろう。政党であれば、党名にその政党の政治理念が込められるべきだろう。しかし、両党はその重要な党名すら決められないでいる。党名ひとつ決められない政党が果たして、日本の政治を司ることができるのだろうか。
党名をめぐっては、立憲民主党が合流後の党名を「立憲民主党」とすることを主張。これに対し、国民民主党の玉木代表は「投票で決めるべき」と主張したが、立憲側はこれを拒否し、幹事長間の調整に委ねられている。
政党は政治理念や基本的な政策を持ち、それを有権者に示さなければならない。また、選挙の際にはその基本的な政策に基づいた政策の各論も示すことが有権者に対する責務だ。政党同士が合流して新しい政党を作るのなら、少なくとも政治理念や基本政策は一致させることが不可欠だ。それとともに政党名も決めなければならない。その基本動作さえできないのが、立憲と国民の合流話なのだ。
ところで、国民民主党の玉木代表は常々、自党について政策提言型政党と話している。現実に、国民民主が政策主義を貫いているとは到底思えないが、もし政策を重視するというのであれば、その先にあるのは、政策を実行する道を探らなければならないということだ。そして、それは野党である限り限界があるということだ。
日本の政治史の中でほとんどの間、野党の存在意義は時の政権を批判することにあった。立憲や国民の源流で、野党だった民主党が政権を担ったことはあったが、それまでに政権を運営するという準備も力量も、そして現実的な政策もなかったがために、日本を混乱に陥れた。
国民民主の政策提言型政党というのは、その反省に立ったものなのだろうが、そうであれば政策よりも政権批判を優先しがちな立憲との合流の合理性はない。党名すら決められないというのもそこに一因があるのだろう。政策を実現するには、本来は野党でいるよりも与党になるべきなのだ。
そうはいっても、例えば自民党と国民民主党では支持層が異なるとの見方もあるだろう。両党とも国民政党とは言っても、例えば自民党は経済界、国民民主党が労働界というように支持層は異なっている。
しかし、時代は変わっている。安倍首相が経済界に賃上げを要請するなど政府主導の春闘も行われる時代になっているのだ。ましてや、新型コロナウイルス感染症を契機にした新しい経済社会作りには、日本が一致してあたらなければならないのだ。
党名すら決められない立憲、国民の合流は、有権者は呆れるばかりだろう。
(terracePRESS編集部)