国民の心情、気持ちを理解できない共産党
「平成」に代わる新元号が「令和」と決まったが、新元号の発表に際し、共産党の志位委員長が談話を発表している。
談話は、まず「元号は、もともと中国に由来するもので、『君主が空間だけでなく時間まで支配する』という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている」とし、「わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない」などとしている。
今回の新元号の決定に際し、大半の国民が発表の瞬間を固唾を呑んで見守り、新聞社の号外を争うように手にし、ほとんどのテレビが多くの時間を割いて国民の受け止め方も報じた。
公表語、いち早く新元号にちなんだ商品を並べた街の商店や中小企業もあった。包装紙やパッケージに「令和」を印刷した商品を無料配布したメーカーもあった。
ちなみに、各メディアの世論調査でも60~70%の人が「令和」を好感している。
新元号はこのように国民の歓喜のもとに受け入れられたのである。
しかし、共産党は元号自体が「日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている」というのだ。
もし、国民が「元号は国民主権になじまない」と考えているのであれば、4月1日の国民の笑顔はなかったはずだ。それとも共産党は「日本人は馬鹿で、騙されている」とでもいうのだろうか。
日本人は、天皇制も、元号も受け入れており、なおかつ国民主権の国を作っているのだ。
科学的社会主義の視点だと、こうした国民の心情や思いは理解できないのだろう。
共産党の談話では「西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対す」としているが、まさに日本では国民の選択によって使われているのではないか。
志位委員長は記者会見で「『元号法をどう考えるか』と問われ「いま元号あるいは元号法を廃止すべきという立場には立っていない。将来、国民の総意によって解決されるべきと考えている」と述べている。
それはそうだろう。現在の共産党では「廃止すべき」と言っても廃止できるものではない。しかし、将来、万が一共産党が政権に関与するようなことがあれば「国民の総意によって解決する」という訳だ。
それこそ、共産党が政権を担い、国民の自由が制限される中では、「国民の総意」は「共産党の考え」にならざるを得ない。これが本音なのだ。
日本人は歴史の中で、国民主権も天皇制も元号も整合性をとって生きている。共産党はそうした日本人を理解できない政党なのだ。
(terracePRESS編集部)