新しい時代の意味
2020年、令和2年の幕が開けた。今年はオリンピックイヤーで、東京でのオリンピックの開催は56年ぶりだ。そして2025年には大阪で万博が開かれる。大阪での万博開催は55年ぶりとなる。
半世紀以上前、戦後の混乱を脱した日本人は、東京オリンピックや大阪万博の開催で新しい時代の到来を肌で感じた。勤勉さや規律の正しさ、そして技術力など日本人の持っている特性をフル活用して大量生産、大量消費という世界の潮流に乗り、奇跡ともいうべき経済成長を実現した。
その果実によって私たちはこの50年間、安心して暮らせる国を作り上げてきた。もちろん、それは完全ではないが、世界に目を向ければ、日本人が豊かな暮らしを実現していることは誰も否定できない。
そして今、日本人は再び、新しい時代の到来に直面している。しかし、今回の時代は半世紀以上前とはまったく様相が異なっている。
世界的な資源の制約と環境の維持、デジタル技術の驚異的な進展、嗜好や消費の多様化など経済環境は一変している。中国という新しい経済大国の出現も忘れてはならない。そして、世界各地では緊張が高まっている。
国内に目を転じても、少子高齢化の急速な進行という、〝国難〟ともいうべき状況に直面し、このままでは地方の衰退は不可避となる。もちろん、大都市でも生活環境すら激変するだろう。このような状況の中でも、災害への備えは立ち止まることはできない。
「新しい時代」とは言いながら、私たちの眼前にはあい路がいくつもあるのだ。それでも、私たちは、新しい時代に向けて、新しい国作りを進めなければならないのだ。
年頭に立ち、私たちが今一度、冷静に考えなければならないのは、この難しい時代のカジ取りを誰に託すのか、ということだろう。
大局観を持ち、強いリーダーシップを持った政権にしか、この難局は乗り切れないのだ。
現在の安倍政権は2012年12月の第二次安倍政権発足後7年が経過している。この間、メディアや野党は〝安倍一強〟などと繰り返し批判しているが、奇妙なことに、ではなぜ安倍一強が続いているのか、その点は論じていない。
私たちは今、大局観を持ち、強いリーダーシップを発揮できる政権こそが、この難局を突破できると、おのずと理解しているからではないのだろうか。私たちの生活を〝実験室〟にすることはできない。前回の民主党政権時代のような失敗は許されないのだ。
世界的な経済社会環境の変化、国際間の緊張が高まっている中で、ほんの数年の停滞でも手遅れになってしまう。そんな時代に生きていることを、私たちは再認識する必要がある。
(terracePRESS編集部)