9条改正なぜ必要ないのか?
9月の自民党総裁選に関連し、憲法9条の改正について石破茂元幹事長が「緊要性があるとも、論理的必然性があるとも考えていない」「スケジュール感ありきでやるべきではない」「何も変わらないという憲法改正をしてどうするのか」などと批判を強めている。
総裁選への出馬が取り沙汰された野田聖子氏も、首相が、自民党憲法改正案を「次の国会」への提出を目指す考えを示したことについて「いま、この国にとって必要なことが憲法改正かどうかということ、世論調査でも(優先順位は)大変低い」と指摘している。
安倍首相の考えは、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という憲法9条に、自衛隊を明文で書き込むというものだ。
これに対し、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という戦力不保持と交戦権の否認を規定した第2項を削除すべきだというのが石破氏の考えだ。
さて、安倍首相が提案している自衛隊明記案では、自衛隊の任務や権限は変わらない。ただし、自衛隊違憲論争に終止符を打ち、自衛官が誇りをもって任務を全うできる環境を作るべきだというものだ。
航空自衛隊では現在、領空侵犯などに備えるスクランブル(緊急発進)が年間1,000回以上行われている。また、国連の経済制裁に違反する北朝鮮の瀬取りの発見に努め、成果を上げているのは海上自衛隊であり、陸上自衛隊はいったん災害が起これば、救出活動に駆け付ける。
このように日常的に活動している自衛隊が違憲の疑いをもたれるのは正常ではない。それを解消しようというのに、どこに問題があるのか。
自衛隊に違憲と後ろ指をさされない状況を作り出すのは、政治家の役割ではないか。
野田氏にいたっては、「いま、この国にとって必要なことが憲法改正かどうか」と話しているが、ではいつになったら改正していいのか? あまりにも無責任な発言だ。
憲法9条も含めた有事法制については、平時の時に改正するのが最も好ましい。万万が一、何らかの有事が実際に発生し、その際に9条改正が取り沙汰されるほうが危険だろう。石破氏のいう「緊要性がない」ときにこそ、議論し、改正すべきなのである。緊要性がある時に改正すればよいというのは、平和国家の政治家としてはあまりにも危険だ。
緊要性がある時に、戦力不保持と交戦権の否認を規定した第2項の削除を持ち出せば、国民が一挙に改正に突き進むという異常な事態を創出させかねない。
安倍首相が主張する自衛隊明記も、次の国会に提出し、議論を進めるということは、極めて合理性がある。