警戒すべきは緊急事態宣言ではなくウイルス
新型コロナウイルスに対応する改正特別措置法が成立した。与党に加え、野党の立憲民主党や国民民主党などが賛成し、国民の健康や生命を守るための法的な枠組みができた。しかし、メディアの中には依然として、新型コロナの感染が拡大することよりも、強制力のある措置を含む緊急事態宣言を懸念する論調も目立っている。しかし、警戒すべきはウイルスであり、緊急事態宣言ではない。
毎日新聞は14日朝刊で「新型コロナ 特措法成立 『緊急事態』にせぬ努力を」との見出しの社説で「特措法は制御不能な最悪の事態への備えだ。宣言を出せば、感染拡大の防止に失敗したことを国内外に示すことになり、重い意味を持つ。冷静かつ客観的に、必要性を判断しなければならない。 今は、感染拡大をくい止めることが第一だ。医療体制を整えれば、感染が一定程度広がっても最悪の事態を避けることができる。『緊急事態』に至らせないための対策にこそ、力を注ぐべきだ」と述べている。
「緊急事態に至らせない対策」とは当然のことで、要は、社説の趣旨は、軽々に緊急事態宣言をするなと言いたいのだろう。
朝日新聞も12日朝刊の社説「特措法改正 懸念の解消なお遠い」と題し、緊急事態宣言について「市民の権利を制限し、社会全体に閉塞感をもたらす重大な措置だ。政府は決議の趣旨を十分酌んで行動するとともに、発動の基準をあらかじめ国民に示しておく必要がある」などとしている。
新型コロナの感染が今後急激に拡大すれば、それだけで社会は重大な閉塞感に包まれるのだ。朝日は、その閉塞感から脱却するために緊急事態を宣言し、さまざまな措置をとるということも理解できないらしい。
東京新聞も14日朝刊の社説で「特措法の改正 独断への懸念は消えぬ」と題し、やはり私権を限定的に制限することにもなる緊急事態宣言に警戒感を示している。
現在、イタリア、スペイン、米国など世界各国は、続々と非常事態宣言を発したり、発する準備をしたりしている。それも当然のようにだ。イタリアでは、全土に移動制限措置を命じられ、集会も禁止されている。許されるのは仕事や家族の緊急事態に際した移動だけだ。米国では12日現在で16の州政府が非常事態宣言を出しているほか、トランプ大統領が13日、国家非常事態を宣言している。
もちろん、国によって宣言による措置は異なるが、緊急事態に際しては、私権を一部制限することは常識だ。
戦後、日本は国家が危機に瀕したことがないため、メディアであっても私権の制限などというと、たとえそれが限定的であるとはいえ、書生論的に「民主主義の危機」「立憲主義の崩壊」などと考えるのだろう。敵はウイルス、守るのは国民の健康と命という原則的立場に立つべきだ。
(terracePRESS編集部)