社会をダメにする二者択一の単線思考
新型コロナウイルス感染症対策を巡って、社会は二者択一の単純思考に覆われている。ほんの少し前の話だが、緊急事態宣言が発せられていた時は、メディアや野党などは「経済が死ぬ」のオンパレードだった。情報番組やニュースなどでは営業自粛をせざるを得ない飲食店などを取り上げ「これでは経済苦境に追い込まれた人が自殺をしかねない」といった言説が流されていた。
政府が宣言を解除した際には、今度は「まだ早い」という批判もあった。
最近は政府が「GO TO トラベル」を実施すると表明するや否や、あたかも旅行のキャンペーンが新型コロナの感染拡大を懸念して、キャンペーンの実施を取りやめたり延期したりするべきとの世論を作り出した。政府が東京を除外しての実施を決めても批判の嵐だ。
一つ一つの主張にはそれぞれ合理性があるのかもしれない。緊急事態宣言により、確かに経済的に多大な影響を受けた人たちはいるし、倒産した企業も数多い。「GO TO トラベル」にしても、感染者が再び多くなっている中で、第二波の到来を招く恐れがあるとの懸念も一つの合理性はある。
しかし、二者択一、白か黒かの選択では社会を維持できない。メディアや野党は政府が行っていることを批判すれば、それだけで自らの存在意義を証明できたことになるかもしれないが、現状に対する批判だけでは何も生まれない。
実際に政策を実行する側は、二者択一ではなく、車の運転で例えればアクセルを踏んだりブレーキを掛けたり車線変更したりと、周囲の状況に応じて、または状況に合わせて運転しなければならない。
「GO TO トラベル」にしても「このキャンペーンをしないと観光業が立ち行かなくなる」「無理というのは簡単。それで観光業の人の生活はどうするつもりなのか」という大阪市の松井市長のような意見もある。
白か、黒かの考えや見方がある中で、その時点の最善の方法を臨機応変に実施していかなければならないのだ。それが国の行政の在り方だろう。
緊急事態宣言というアクセルを踏んで、感染拡大の防止に優先順位を置くこともあるだろうし、国民経済の安定のために経済の回復にハンドルを切ることもあるだろうし、ぎりぎりのところで車線変更をすることもあるだろう。それは、これまでそうだったし、これからもそうあるべきだ。
「感染拡大の防止」「経済の回復」という二つの課題がある中で、場合によったら場当たり的と言われようと、機動的に対処していく。この困難な状況の中では、二者択一は愚策なのだ。
(terracePRESS編集部)