党首討論、菅首相も野党党首に質問を
菅首相と野党党首の初の党首討論が6月9日に開催される。新型コロナウイルス感染症やオリンピック・パラリンピックがテーマになるとみられ、立憲民主党は「今国会最大の山場」(安住国対委員長)と位置づけているという。約2年ぶりの党首討論となるが、今回の党首討論では原点に立ち返り、本来の〝討論〟をするべきだ。
党首討論は2000年に英国議会の「クエスチョンタイム」をモデルに導入された。国家基本政策委員会合同審査会として行われ、国家の基本政策について首相と野党党首が討論するものだ。有権者が「どちらが首相にふさわしいか」を判断する機会にもなるが、残念ながら、これまで行われた党首討論は、実体的には〝討論〟と呼べるものではなかった。
それは、野党党首の質問に対して首相が〝答弁する〟という国会の質疑スタイルがそのまま踏襲されてきたからだ。
例えば、2019年6月19日に行われた安倍首相と野党党首の党首討論でも、金融庁の審議会が老後の生活費が「2千万円不足」するとした報告書をまとめたことなどを取り上げ、立憲の枝野代表や国民民主の玉木代表らが首相を質している。
当然だが、こうした首相と野党党首の質疑であれば、党首討論でなくとも恒常的に行われている。例えば5月10日の衆院予算委でも、立憲の枝野氏が菅首相に対し、新型コロナの緊急事態宣言の発令、解除をめぐり質問を繰り返し、最後に「私には経験と教訓がある。総理がその覚悟と気概を示せないのであれば、潔く身を引かれるべきだ。」などと一方的に発言している。
このような、野党党首の質問に対して首相が答えたり、説明したりする形式にとどまるのであれば、それは本来の意味の討論ではなく、開催する意味も乏しい。首相が野党党首に質問することも大事で、それによって初めて「どちらが首相にふさわしいか」が明確になるはずだ。
もちろん、野党党首の質問に対して首相は答えなければならないが、首相の質問に対しても野党党首は答えなければならない。それによって初めて本来の討論になっていくのだろう。
国会の質疑では、野党は事実に基づかないことで政府を一方的に批判したり、重箱の隅をつつくような質問で、揚げ足取りをしたりする。なんら対案も示さないままの一方的な批判だ。それは、政府を批判していれば、〝批判政党〟としてのポジションを一定程度確保できるからだろう。
党首討論は国家の基本政策を論ずるものだ。新型コロナやオリ・パラももちろん大事だが、国際情勢やグリーン化、デジタル化、経済活性化、地方活性化など重要なテーマはある。そして、枝野氏が国会で「私には経験と教訓がある。総理がその覚悟と気概を示せないのであれば、潔く身を引かれるべきだ。」などと政権交代を口にしている限り、菅首相は枝野氏に民主党政権時代の失敗についても問いただすべきだろう。
(terracePRESS編集部)