赤坂自民亭批判は正しいか?
西日本豪雨は死者が200人を超える惨事となった。思いもよらぬ豪雨になすすべもなく家族の命や家屋を奪われた人々の苦しみは想像を絶するものだろう。
7月5日夜に安倍晋三首相ら自民党の面々が懇親会を開き、その様子がツイッターなどで拡散されたため、朝日新聞などのメディアから政府の危機管理に対する意識の希薄さが批判された。
気象庁は今回の豪雨に関連し、5日午後2時に記者会見を開いて、8日にかけて東日本から西日本の広い範囲で記録的な大雨となる恐れがあると発表した。内閣府はそれを受けて1時間半後には、各省庁の課長らを集めた災害警戒会議を開き、警戒を強めているから、今回の豪雨に対して政府がまったく関心を示さなかったわけではない。
5日夜の懇親会が行われなかったら、被害の拡大を防止できたかどうかは不明だが、確かに〝飲み会〟をやっていたと聞けば、被災者の感情を逆なでするものには違いない。その点については、自民党に配慮を欠いた一面があったことは事実だろう。
しかし、この懇親会批判は、災害対策の在り方を矮小化してしまうのではないだろうか。政権を批判したいがための一部メディアの稚拙な議論ともいえる。
東日本大震災、熊本地震を引き合いに出すまでもなく、日本は決して災害に強い国土ではない。急峻な地形のため山間部で豪雨があれば、すぐ下流の水位が上がってしまう。その水量が想定を超えれば、堤防は決壊し、街は水没する。
重要なことは、地震はもちろん台風、豪雨でも、災害に強い国をどう形成していくかだ。それが災害対策の重要な視点だ。そこで治山、治水などの公共事業が重要になってくる。
もちろん、近年は財政的な制約が顕著になっているうえ、地域のコミュニティーが崩壊しつつあるため、行政だけによる防災というよりも、住民同士、住民と行政が手を携えて災害対策を行うという「自助・共助・公助」という考え方も重要だ。
しかしながら、従来の公共事業で安全で安心できる国を作るという点の重要性は今でも失われていない。というよりも、災害があるたびに、こうした防災多作の不十分さを国民が再認識すべきなのだ。
今回、一部メディアで批判された自民党は、これまで災害対策に力点を置いてきた政党だ。治山、治水など災害対策に直結する公共事業を推進してきた。
また、東日本大震災後には、国土強靱化基本法も制定されている
同法は、国民の生命と財産を守るために、事前防災・減災の考え方に基づき「国土強靱化」の総合的・計画的な実施が目的。自民党の二階俊博幹事長が東日本大震災後からその必要性を訴え、安倍政権の主要政策となったものだ。
一方、今回、自民党を批判した朝日新聞などのメディアは、これまで公共事業を批判し続けている。その公共事業批判がかつての民主党政権の誕生に一役買ったといっても過言ではない。
そうしたメディアは、治山でも治水でも、目の敵のように批判し続けてきたのだ。災害対策に無責任な言論を発信し続けてきたのだ。