驚くべき「多弱脱皮」理論
東京新聞が25日付朝刊で「多弱脱皮へ道筋示せ」と題した社説を掲載している。社説は「多弱でもまとまって戦えば一強を倒せる-。野党共闘の重要さを教えたのが最近の首長選挙だ」との書き出しで、沖縄県知事選や那覇市長選など最近の地方選挙での野党系候補の勝利を紹介し、来年の参院選について「野党は参院選でも全国32の改選1人区で候補を一本化すれば、与党に十分太刀打ち可能とみる」と指摘している。
その上で社説は「問題は、どう調整を進めるか」と述べ、立憲民主党、国民民主党、共産党に、党内事情はさておき「胸襟を開いて話し合いに臨むべき」などと求めている。
簡単に言えば、お互い譲り合って、候補者調整を進めなさい。そうすれば、1人区で勝てる可能性もある、と言っているわけだ。単なる勝ち負けのみを念頭に共闘することを求める。これは野合でしかない。
もちろん、東京新聞はメディアらしく、それが野合であることが分かっているのだろう。そのため社説では「政策の旗も重要だ。有権者は民主党政権の失敗とその後の混乱を見て野党には厳しい目を向ける」「直近の報道各社の世論調査で、最も高い立民でも支持率が一ケタに沈んでいるのは、この1年で各党が安倍政権に代わる国家像を提示できなかったことが大きい」と述べている。
では、その多弱の野党が共闘して安倍政権に代わる国家像を提示することが可能だろうか。誰に聞いてもわかるだろうが、そんなことはもちろん不可能だ。東京新聞は「参院選は政権選択選挙ではないが」との前提を置きながらも「(野党に)連立政権構想につながる合意を望みたい」としている。
参院選で共闘を組むというのなら政権構想が求められるという考え方は正しいが、その実現可能性が恐ろしく低いことは、東京新聞は百も承知だろう。それが分かっていながら連合政権構想云々を持ち出すのは、単に安倍政権の足を引っ張りたいからなのだろう。
そもそも多弱というのは、一つ一つの政党の主張、政策が異なり、それも到底、有権者に評価されないようなものだったり、野党という存在の中に埋没してしまったりして、その政党の支持者がそれぞれ少数になってしまうからできるのだ。
逆に言えば、例えば、共産党が他の野党と妥協して政権構想に加われば、共産党の存在意義は薄らいでしまうのだ。立憲民主党と国民民主党が政権構想をつくれば、その時点でそれぞれの存在意義は失われる。
政権構想ができなければ、野党共闘は単なる野合だ。結局、東京新聞の社説は〝野合のススメ〟でしかないのだろう。